「65歳から」という地図を、誰かに渡されていた
ふと、気づいてしまった。
「老後は65歳から」と、自分はずっと信じていた。疑ったことすら、なかった。 でも考えてみると、その「65」という数字を、自分で選んだ覚えがない。
誰かに教わったわけでもない。
でも、気づいたらそれが地図になっていた。
35歳で「まだ先がある」と思ったのも、50歳で「折り返した」と感じたのも、全部その地図の上の話。
「65歳」はどこから来たのか
この数字には、はっきりした出どころがあるんです。
日本で年金の受給開始年齢が65歳に設定されたのは、制度設計上の都合で、もともとは55歳や60歳だったものが、財政的な理由で段階的に引き上げられてきました。
ですので「65歳から老後」という感覚は、制度が私たちの意識に刷り込んだものに近いんです。
つまり、「65歳が節目」というのは、人間の体や心の変化から導き出された数字ではなく、社会の仕組みが先にあって、私たちの感覚がそこに合わせてきたという順番。
「それが普通」という安心感
もちろん、節目があることは悪くないことです。
「65歳までは働いて、その後はゆっくり」という設計図は、多くの人にとって生活を整理する軸になってきていますからね。
「老後のために貯蓄する」。
それまでに子どもを育てる、住宅ローンを返し終えるといった全部が「65歳」という終点から逆算されています。
そのわかりやすさが、社会全体の合意を生んできたことも事実であり、みんなが同じ地図を持っているからこと、話が通じるわけです。
制度も、会話も、人生の設計も、すべてその地図を前提に動いています。
でも、「自分の老後」はその地図と一致しているか?
ここで少しだけ、視点をずらしてみると、「65歳になったら老後が始まる」のではなく、「老後とは何か」を自分で定義したら、その始まりは何歳になるのでしょうね?
- 体力が落ちてきたと感じたとき?
- やりたいことがはっきりしたとき?
- まったく変わらないまま70歳になってしまったとき?
人によっては、45歳がすでに「老後の始まり」かもしれませんし、60歳で起業した人にとっては、老後などまだ来ていないかもしれない。
「65歳から」という数字は、制度の都合であって、あなたの人生の速度ではないということだけは認識しておきましょう。
ある知人の話
50代前半の知人が、早期退職を選んだ。
周囲からは「まだ早い」と言われたらしいのですが、彼女は「65歳まで待ったら、やりたいことをやる体力がない」と言っていた。
実際に彼女は今、農業と陶芸を掛け持ちし、かつてより忙しく、かつてより生き生きして過ごしています。
制度の地図から外れたわけではなく、ただ「65歳が節目」という他人の設計図を一度手放し、自分の地図を描き直しただけ。
地図を「疑う」ことと「捨てる」ことは違う
「65歳から老後」という前提を疑うことは、制度を否定することではありません。
ただ、その数字が「他の誰かが引いた線」だと知っておくことは、少し違う生き方の可能性を開いてくれます。
自分がその線をなぞっているのか、それとも意味があって選んでいるのかを、一度だけ確かめてみること。
あなたにとっての「老後の始まり」は、65歳でなくてもいいのかもしれませんし、あるいは、65歳でいいと、自分で選び直すことができるのかもしれません。
選択はどちらでもいい。
ただ、「誰かに渡された地図だった」と気づいていること、それだけでずいぶんこれからの人生が違ってくるはず。
