公的年金の老齢厚生年金では、男性と女性の平均受給額に月6万円ほどの差があるようです。
夫婦世帯を前提に設計されてきた制度の下で、長く働きにくい時代の続いた女性が、男性よりも長寿で、おひとりさまになりやすい現実と正面から向き合う段階に入ってきているようです。
公的年金は、老後の生活を支える「家計の柱」として位置づけられていて、国民年金の老齢基礎年金は原則65歳から支給され、2025年度の満額は月額約6.9万円とされているのですが、実際の平均は5.8万円にとどまっています。
ここに会社員などが加入する厚生年金が上乗せされ、老齢基礎年金を含む老齢厚生年金の平均月額は14.7万円となり、平均値だけを見ると、「年金は月十数万円」というおおまかなイメージなのですが、受給者全体を一つの数字に押し込めてしまうと、決定的な違いが隠されてしまいます。
というのも、男女別に分けたときに、その差額は月6万円にも広がってしまいます。
老齢厚生年金の受給額分布を男女で比べると、男性のピークは17〜19万円なのに対し、女性のピークは9〜10万円にとどまっていて、平均額でも、男性は16.7万円、女性は10.7万円と、ここでも6万円近い差が現れています。
年金は「長く、毎月」受け取るお金であることを考えると、この差は一年で70万円前後、十年では700万円規模の開きにつながります。
この差は、単に年金制度の給付水準が男女で異なるために生じているわけではなく、厚生年金が、報酬と保険料納付期間に応じて額が決まる仕組みとなっていることから、現役時代の働き方がそのまま老後の受給額に反映されてしまうのです。
これまで、女性は男性に比べると賃金水準が低いうえ、結婚や出産などを機に雇用が途切れやすかったことから、厚生年金に加入していた期間そのものが短くなりやすく、現役期の賃金格差と就業パターンの違いが重なった結果、そのまま月6万円という数字として表に出ているのです。
しかしながら、この男女差は深刻な問題として扱われにくかった。
その背景にあるのは、公的年金制度が「世帯」、より具体的には平均的収入で40年間働き続けたサラリーマンの夫と専業主婦の妻というモデルを前提に組み立てられてきたという歴史に関係しており、妻本人の年金額が低くても、夫が安定した厚生年金を受け取っていれば世帯として暮らしていけるという前提に立てば、女性個人の年金水準の低さは制度上の問題としては見えにくかったのです。
実際、年金額の公表も長らくこの夫婦モデルが中心となっており、毎年の発表では、平均的なサラリーマン世帯を単純化した夫婦の受給額が基準とされ、個人単位の受給額が多様な働き方ごとに示されるようになったのは、2025年からとまだまだ最近の話。
モデル世帯を基準にすれば、世帯合計という数字が前面に出てしまい、その内側にある男女差は埋もれてしまう。
ところが、社会の側はその前提から大きく姿を変えつつあり、女性は2人に1人が90歳まで生きるとされ、90歳の女性の約9割はシングルだとされています。
65歳以上の高齢者全体でも、6割を女性が占めていて、長寿化と未婚率の上昇などを背景に、高齢期を一人で生きる女性が多数派になりつつある中、「夫の年金がある前提」で個人の年金水準の低さを見過ごすことは難しくなってきています。
ここでようやく、月6万円という格差の意味が変わってきます。
夫婦合算で見ることで吸収できていた差が、おひとりさまの女性にとっては、そのまま老後の生活水準を左右する数字となってきます。
そもそも公的年金は、働けなくなったときの所得保障という役割を担っているにもかかわらず、現役期の賃金格差と就業機会の差が、保障されるべき老後の所得にも持ち越されている構図が、長寿でシングルになりやすい女性に集中しています。
男女間の賃金格差は社会課題として広く認識されつつある一方で、その出口である年金における格差は、まだ十分に可視化されていません。
それでも、老齢厚生年金で月6万円という差が常態化している事実は、賃金格差と同列に扱うべき問題の大きさを示しており、高齢期の多数派である女性の側に所得保障の弱さが集中していることは、早急な解決を行うべきことでもあります。
年金を「世帯の収入」としてだけ見る発想から、「自分自身の生涯の所得」として捉え直す必要が生まれ、女性一人ひとりが将来の年金見込み額を把握し、その水準を前提に働き方や貯蓄の仕方を考え直すことは、もはや慎重な備えではなく、長寿かつおひとりさまになりやすい時代の前提条件に近い。
月6万円という数字は、単なる統計上の差ではなく、公的年金の設計と現実の暮らしの間に生じたズレを示す指標として受け止めるべき段階に来ています。



